三相園福祉会50周年記念特設ページ 沿革PDFバージョン
法人設立50周年を迎えて
令和 2年10月 吉日
社会福祉法人三相園福祉会
理 事 長 竹村 義法
社会福祉法人三相園福祉会は、昭和29年(1954年)8月に黒井町立「丹波養老院三相園」の名称を以って丹波地域初めての老人福祉事業の第一歩を踏み出し、事業開始以来66年の歳月が経過致しました。昭和45年(1970年)7月15日には社会福祉法人認可(当時は社会福祉法人丹波養護老人ホーム三相園という法人名)を受け、10月1日より社会福祉法人としてスタートし、今日法人設立から半世紀という記念の年を迎えました。この間、社会情勢が大きく変化していく中で、多くの皆様方のご理解、ご協力を頂き、養護老人ホームの2度にわたる全面改築(昭和56年、平成27年には移転改築)や特別養護老人ホーム等の2度にわたる創設(平成8年に従来型特養・ケアハウス・デイサービス、ショートステイ等、平成18年にはユニット型特養)という時代に合った施設・地域福祉の拡充整備を図ってまいりました。こういう大きな事業を達成できましたのも偏に地域の皆様方や関係機関の多くの皆様方のご支援、ご協力の賜と改めて感謝申し上げる次第です。
さて、法人認可を受けた昭和45年には高齢化率7%を超え高齢化社会に突入した年でした。それから50年後の今日では高齢化率28%を超える超高齢社会を迎え、また少子化による急激な人口減少社会の進行、それに伴う家族の変化やライフスタイル、価値観等の変化により地域における人と人との触れ合う機会の減少、地域住民同士のつながりや助け合いの精神が希薄になり、思いやりの心の欠如なども指摘されております。この半世紀の間に地域社会が大きく変わるとともに様々な住民の生活課題、福祉課題も多様化し複雑化しております。
当法人においても昭和、平成、令和と時代の変化と共に、養老院から老人ホームへ、収容の場から生活の場へ、人権の視点と専門的な介護の実践、老人ホームの地域開放、社会福祉法人基礎構造改革による社会福祉理念等の変化、社会福祉関係法律等の改正、介護保険制度施行による措置から契約へ、運営から経営へ、また多様な主体の参入、競合、そして最近では社会福祉法人制度の改革等社会福祉を取り巻く環境は大きく変化してまいりました。そういう中において、環境の変化に的確に対応しつつ、今後も地域福祉事業に取り組みながら、高齢者社会の中で求められる施設、自分が入りたいと思える施設、地域に信頼され期待される施設を目指し、また地域福祉の拠点として新たなニーズにも応えられる役割も担っていきたいと思います。そして心豊かで生きがいを持って生活できる環境を築き上げていきながら、50周年を節目としてこれからも積み重ねてきた経験や技術を生かし、より一層施設、地域福祉の充実発展のために鋭意努力する所存でございます。今後共地域の皆様方、関係各位の皆様方の変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
今年2020年、令和初めての新年を迎え、夏には東京オリンピック等を控え特別な一年になるところが、未知の新型コロナウイルスによりその数か月後には世界の風景が一変し、国難とも言える一年になるとは誰も想像できなかったと思います。こういう感染拡大しているコロナ禍の厳しい中ですので、50周年の式典等は自粛させて頂きますがご理解賜り、細やかですが記念の品をもってお祝いとさせて頂きます。今後も50年間の諸先輩方が築き上げてこられた法人の歴史を常に思いながら、また重みを感じながら、法人・施設理念の『思い』や『心』を未来へ繋げ、これからも新たな歴史を刻んで行きたいと思います。
最後になりましたが、関係各位の益々のご健康とご多幸を心より祈念申し上げ、詞と致します。 合掌
社会福祉法人三相園福祉会五十年の歩み
三相園福祉会の歴史は、昭和28年、天台宗歌道寺住職旭海應が兵庫県下広域の戦争被災老人等救済の必要性のため養老院建設を計画、それに檀中も賛同し、昭和29年1月厚生省並びに兵庫県知事より生活保護法による保護施設設置の認可を受けた。県内では8番目の救済施設として、歌道寺境内に丹波地方初めての老人福祉施設『丹波養老院三相園』として発足(定員30名、大部屋、7月15日竣工式)。管理責任者旭海應初代院長が終生の事業としてその運営に携わり、同年8月1日より黒井町立として事業を開始、丹波地域の老人福祉の拠点としてスタートした。
昭和30年3月町村合併(黒井町外4ケ村合併)により黒井町より新町の春日町へ移管し春日町立となる。同年12月には春日町立の老人ホームとしてその役割をより強く生かすため収容人員増加等による施設拡張の計画、昭和33年10月、50名定員収容の増改築工事が認可され、本館の下側に廊下、食堂、調理室、居室、便所、洗濯場等三棟を増築し、昭和34年1月より収容人員50名定員(20名増員)として事業を開始した。
また、昭和32年12月、三相園の老人と地域老人が一体となって、老人クラブ(黒井洗心クラブと称した)を氷上郡内(丹波市内)で初めて結成し、この余波が郡内各町村に及び郡内各所に老人クラブが結成され、その先駆者となった。
昭和38年8月には、老人福祉法の制定により『養老院』という名称が廃止され、新法律に基づき、『老人ホーム』と改められ、『春日町立丹波養護老人ホーム三相園』と改称した。
昭和44年5月、町の行政方針や法人移管することにより今後の老人福祉事業の近代化や時代にあった弾力的な運営、法人経営が出来、また将来性を培いながら今後更に運営の強化を図っていく必要性があるため、社会福祉法人化の協議が進み、昭和45年7月15日(1970年)に、町立町営の老人ホーム三相園を社会福祉法人として厚生大臣並びに兵庫県知事の認可を受けた。10月1日より『社会福祉法人丹波養護老人ホーム三相園』として発足し、旭海應が三相園園長に就任し、副園長兼事務長に小椎尾隆(三相園2代施設長・おかの花初代施設長・三相園福祉会3代理事長)、理事7名(旭海應、小橋泰一、荻野周次、野村勝、大滝慈孝、杉本喜多三、荻野昇一)、監事2名(林彌二郎、杉本喜八郎)を以て役員を構成し、旭海應が初代理事長となり、法人の機構を整備充実し、社会福祉法人としての第一歩を踏み出した。
また、昭和52年12月には大敏建設社長側敏夫氏を初代会長として後援会が発足し、法人の支援体制を強化した。広報誌として昭和53年より年2回後援会たより「三相」を発行し、三相園の行事の案内や実施状況、生活の紹介等広報に努めた。昭和54年11月第1回『後援会の集い』の開催もした。(54年度後援会会員数370名)また、積極的にボランティアの活動の支援をし、ボランティア研究会(V研)を立ち上げた。また地域との交流事業等にも力を入れ、先進的な施設運営にも心がけた。
同年、施設は昭和29年に創立以来25年の歳月を経て木造建築物は老朽化し、県より老朽建物施設の指定を受け、55年9月厚生省及び兵庫県の認可を得、56年7月に改築、鉄筋コンクリート造りの近代的な施設が完成した(2人部屋)。春日町保月山の麓、風向明媚な高台にアイボリーの壁にグレーの屋根、入所者の部屋からは眼下黒井の町並み、夜景が見え、清澄な空気と緑に囲まれ、境内は金力山歌道寺があり、興禅寺、称名寺及び黒井小学校、幼稚園等が隣接し、老人施設高齢者の心身の健康には最高の環境であった。
昭和61年7月14日旭海應が施設長を退任し、副園長兼事務長であった小椎尾隆が7月15日より施設長に就任。昭和62年4月旭海應が勲五等瑞宝賞を受章。
昭和62年11月に後援会(会長=側敏彦氏)主催の第1回チャリティコンサートを春日町文化ホールで開催。以後平成19年まで20年継続し、春日町の文化活動の向上を図った。
昭和63年12月初代理事長旭海應が逝去(行年84才)。昭和64年1月8日から平成に改元され、1月には2代理事長旭秀海が就任した。
平成2年4月に福祉八法が改正され、在宅サービスの推進、福祉サービスの市町村への一元化、市町村と都道府県の老人保健福祉計画策定義務化が行われ、平成5年4月には県から市町村に措置権の移譲が行われた。
平成6年高齢化率が14.5%を超え、高齢社会に突入。こういう状況の中で、特養等総合施設建設の整備が望まれるようになり、3月にはその必要性から春日町と当法人が特養建設協議を行い、6月には山田に建設用地の確保、7月には県へ高齢者福祉施設事前協議書の提出、11月には類設計室(大阪市)と設計監理契約をし、平成7年3月に6~7年度、2か年継続事業として内示を受けた。
そういう中、1月27日未明、阪神淡路大震災という未曽有の地震が発生し、数日後被災施設等へ水等救援物資を運ぶなど丹波の老人施設といっしょにできる救援活動をした。同年3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件などもあった年である。
平成8年3月に2か年継続工事が完了し、特別養護老人ホームおかの花(定員50名、4人部屋)にショートステイ(定員20名)、ケアハウス保月の郷(定員30名、個室)、デイサービスセンターB型(定員30名)、在宅介護支援センターを併設し施設が完成した。5月には兵庫県知事の設置許可を受け、5月14日に竣工式を挙行。春日町では初めての特別養護老人ホームであり、丹波市では5番目の特別養護老人ホームとなった。4月末に養護老人ホーム三相園の小椎尾施設長が退任し、おかの花の施設長に異動となる。養護老人ホーム三相園は相談員や事務員の経験のある旭成海が5月より三相園の施設長として就任した。
平成16年11月に氷上郡六町が合併し丹波市として発足した。養護老人ホーム三相園の創立50周年を迎えた年である。三相園では年々入所者の高齢化、重度化等に伴い、17年1月に養護老人ホーム三相園にエレベーター及びデイルーム、男女別トイレを1・2階に設置等増築工事をし、現在の入所者の状況に合った環境整備を図った。
平成16年、年々高齢化率は上昇し、第1号保険者数の増加、核家族化、女性の社会進出等による在宅介護困難ケースが増える中、春日町介護保険事業計画(第2期)において平成19年度までに特別養護老人ホーム99床を整備する目標が発表された。おかの花は今後の利用者のプライバシーの確保や個別ケアを重視した環境であるユニット型を30床増床し、従来型58床に加え、定員88床にする施設整備計画協議書を県へ提出し、平成17年10月から平成18年3月までの工期を経て、特別養護老人ホームおかの花北棟ユニット(定員30名、全個室)が完成。4月より事業を開始した。
同月養護老人ホームの設備及び運営に関する基準が改正。10月には三相園に外部利用型特定入居者生活介護事業所及び訪問介護事業所を設置。今まで養護老人ホームの入所者は介護保険が利用できなかったが、介護が必要な方には訪問介護等の介護保険利用が可能となった。
平成19年3月には三相園バリアフリー化事業や翌20年にはサービス棟屋上防水工事、おかの花においては南棟外壁塗装工事を実施。22年には三相園施設外壁全面塗装工事及び居室1F床張替(フローリング)工事、おかの花は南棟浴室等大規模修繕、デイサービスセンター浴室増設・3F浴室改修工事を実施した。23年7月にはおかの花南棟空調・厨房空調設備工事も実施。また24年にはおかの花南棟・北棟非常電源工事を実施した。平成19年~24年の5年間は三相園、おかの花ともに老朽・防災、環境面において施設整備を行った。この間の平成19年11月には2代理事長旭秀海が逝去(行年78才)。おかの花施設長であった小椎尾隆が3代理事長となり、おかの花の統括施設長として施設・法人の運営に従事。またおかの花は小椎尾竹信が施設長として就任した。
平成23年3月には東日本大震災が発生し、東日本各地で大津波、火災、原発事故等未曾有の災害に襲われ、日本国内のみならず世界中にも大きな衝撃を与えた。
平成26年、昭和29年養護老人ホーム三相園創立以来60周年を迎える。
平成26年8月丹波市豪雨により、三相園の裏山が土砂崩れをし、施設の一部が破損、床上浸水等の被害を被った。一方、おかの花においても平成26年3月より兵庫県の事業として土砂災害警戒区域であった北側の山の砂防堰堤建設中に土砂等が施設に多量に流入し、三相園、おかの花創設以来の大災害の年となった。
平成27年には昭和56年7月三相園改築より35年の月日が経過し、老朽化により、平成24年度より移転改築の協議を進め、平成27年10月には春日町山田に鉄筋コンクリート3階建て(個室)の施設並びに訪問介護事業所が完成し、11月竣工式、12月に長年(1954~2015年の61年間)住み慣れた黒井から山田に移転した。
この三相園建設中の9月に3代理事長小椎尾隆が急逝(行年73才)し、10月には竹村義法が4代理事長として就任した。
平成28年には平成8年おかの花創立以来20周年、平成18年ユニット型創設以来10周年を迎えた。同年9月には旧三相園建物の解体工事、11月には昨年8月より着手したおかの花従来型特養の大規模修繕工事(外壁塗装・防水塗装工事・屋根葺き替え工事・内壁クロスの張り替え工事等)が完了した。平成29年4月より福祉サービスの供給体制の整備及び充実を図るため、社会福祉法人制度改革が行われ、経営組織の在り方等が見直しされガバナンスの強化や事業運営の透明性の向上、地域における公益的な取り組みの実施等の大きな改革がされた。
平成31年4月には新元号(令和)が発表され、5月1日より改元される。
令和2年7月15日(2020年)、昭和・平成・令和と歴史を重ね、昭和45年7月15日社会福祉法人三相園福祉会(当時は社会福祉法人丹波養護老人ホーム三相園)設立以来、50年という年月が経過し現在に至った。
今年で各施設創立以来、養護老人ホーム三相園66年、特別養護老人ホームおかの花・ケアハウス保月の郷24年、北棟ユニット14年が経過し、三相園は昭和29年8月1日から令和2年7月末日まで66年間で615名が入所、おかの花は平成8年5月1日から令和2年4月末までの24年間で545名が利用、ケアハウスは平成8年5月1日から令和2年4月末までの24年間で155名の高齢者が各施設を入所利用されている。
三相園福祉会の沿革と社会情勢